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2020_1128_113428 渚橋踏切

Photos: 2020_1128_113428 渚橋踏切

Photos: 2020_1128_113457 渚橋踏切から御殿山駅を望む Photos: 2020_1128_113029 六助踏切

渚という地名は文徳天皇(平安時代)の第一皇子、惟喬親王の別荘、渚の院があったことからついた地名です。惟喬親王は第一皇子にも拘わらず母親の出自の位の低さから皇位を継承できず、
伊勢物語によると、交野ヶ原で狩猟を楽しんではここ渚の院で宴と歌を詠んで憂さを晴らしていたのだそうです。
今ならここから最寄りの御殿山駅から御所にほど近い出町柳駅まで、準急と特急を乗り継いで40分ほど、狩猟地の交野へも枚方市で交野線に乗り換えて20分ほどの道程で楽勝の日帰り圏内ですが平安時代には牛車を雇って泊りがけの旅だったのでしょうね。

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Comments (2)

  • 中古のふ

    うーん 牛車で・・・そんな事無いでしょ、と思ってググったですm(_ _)m

    例えば、平安時代って(たぶん、それ以前にしても)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E#%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3
    あるくらいなので、狩猟に行くなら、牛車って事は無いでしょうね。
    冷や飯食いとは言え、上級国民(^_^;)なんですから、馬は用意できたんではないですか?今のお金持ちが高級車走らせるみたいな、、、チョット違うか。。(^^ゞ

    01-24-2021 12:47 中古のふ (10)

  • キューチャン

    中古のふさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    なんか皇族も公家さん系なので、お出かけするなら役人や世話する人や護衛をつけて、モバイルお屋敷状態でぞろぞろ、というイメージがあってそう思いましたが、馬を乗り継げば信号もないし一般道で車で行くよりも速いくらいで来られそうですよね。9世紀の人ですからまだ武士の台頭してくる前ですし隣の牧野は狩猟用の家畜の牧場があった、というくらいですから馬術も嗜まれていたでしょう。

    01-24-2021 22:22 キューチャン (34)

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