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回漕業解説版

写真: 回漕業解説版

写真: 旧黄柳橋の親柱 写真: 「昔の回漕舟」モニュメント

江戸時代、豊川は奥三河と 吉田湊 (現在の豊橋)を結ぶ河川交通の中心だった。 乗本の菅沼家五代 菅沼定正が正保元年(1644)、鵜飼船の船大工を美濃から呼んで造らせ、宇連川と黄柳川の合流点上手の羽根河岸に船着き場をつくって廻船業始めた。

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コメント (2)

  • ブンブン(多忙前線停滞中)

    昔はこの渓谷を船が行き来していた〜と解釈していいのでしょうか・・・
    狭い渓谷〜昔の方は大変でしたね。

    2015年12月2日 22:17 ブンブン(多忙前線停滞中) (2)

  • 穂の国

    『ブンブンさん』
    コメント有り難う御座います。
    乗本地区からの上流は山間の部落で、林業が主で、木炭等を運ぶには船が主な運送で、多くの船が行き交ったでしょうね。

    2015年12月3日 05:48 穂の国 (5)

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